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不老不死の身体−道教と「胎」の思想/加藤千恵著 大修館書店  からの引用

 

  胎食のステップ

普通の者にとっては食べ物のカテゴリーに入らないものが挙げられている。

順番が後になるにつれて、食のランクが高くなっていく。

 そして最後が問題の「胎食」である。

これは「服胎気(胎気を服す)」ともいい換えられている。

この「胎気」は、自己の体内から得られる「元精の和」であり、

また「胞胎の元」であると説明されている。

食されるものが「気」なのか「精」なのか「液」なのか、はっきりとは定め難いが、

いずれにしても、ここにいう「胎食」とは、

自己の体内に何か根源的な生命の泉のようなものを探り当て、

それをまた自分が食べるということであろう。

最も貴重な食は、深山や離島にではなく、自己の体内に探し求めることが出来るのだ。

 しかし、自己の体内のものを自分自身が食べるというのは、いったいどういうことであろうか。

ここで注目したいのが「胎」という表現である。

改めて「胎食」の項を見てみると、その効能は、「嬰童に返る」ことであるという。

この「嬰童」を胎児と同義に解釈してよいのなら、

これは自分が再び胎児に戻って、自分自身の細胞中に生まれ変わる、

つまり自分が新たに自分自身を身ごもるということであろう。

その結果、「身を捨てずにさらにまた身を授かる」、

つまり現在の身体を死なせることなく再生することができるというのである。

「胎食」で食されるものは、胎児に食べさせる、より根源的なものに相当するから、

「胞胎の元」「胎気」などと呼ばれるのであろう。

そして「生死を往来する」というのであるから、

生まれ変わった自分は、むろん今までの自分とは異なる、

永遠不死の生命を手に入れていることになる。

 

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